サルア君、アニメに出る(2期8話)

第8話「詩聖の間」

 「しせいのま」ってこういう発音だったのかと思う非標準語話者。

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 原作には「天井に穴が、そして壁に、鉄製の鎹を打ち込んだようなはしごがついている」とある。それが、穴が開いているのは壁になっており、しかも人間が立って歩けるような大きさではない。出入りの際に困るな、と運動神経の鈍い人間は心配になるのであった。

 そしてはしごを握るサルア君のおててのきれいなことよ……。
 人物、それにはしごと穴をひとつの画面におさめようとしたからなのか、妙なレイアウトになってしまっている。本作は人物と背景画の比率がおかしく、しばしば「クソデカ背景」と揶揄される。今回はそのようなパースの問題(と、いう言い方で合っているだろうか?)とはまた違った話だが、原因としては同じところにあるのでは、と考えてしまう。レイアウトの段階からなのかもしれないし、もっと前にあるのかもしれない。とはいえアニメ制作の工程について詳しく知らない身なので、あやふやな知識だけで推測するのは避けるべきだろう。

 

「思い切りは必要ねえな」

 唾を吐くカットがGIFスタンプになったときのぼく「これはもしや……ファンサービスを受けているのでは!?」
 「思い切ったことをするじゃねえか」は緊張がにじむ一方(顔にも冷や汗、つまり焦りを表わす漫符を浮かべている)、こちらの台詞は声音からも表情からも「にやにや笑い」で内心を覆い隠しているのがうかがえる。つまりサルアという人物は平静なるものを軽薄さで装おうとする傾向がある、と本作ではその点にクローズアップしているわけですよわかりますか!

「にしてもだ、俺としては、あんたがなんで心変わりしたのか知りたいところだね、クオ」

 原作では、魔術士と結託するとは、と言われたことを受けてサルアは「何と結託しようとしているのか」と返す。これを、第3話にもあるメッチェンの台詞「サルアは、クオが危険だと言っています」に繋がるように変更している。

 最終拝謁うんぬんについて話しているときの顔を見ると、この男、八重歯疑惑がある。いたずら小僧なのかな?????

「へぇ。俺も拷問されてる時は、意外といいこと言うみたいだなあ」

 1期6話でマクドガルの台詞が「本格的に問い詰める」となっていたので拷問は使えない単語なのだろうかとも思ったら、こちらの考えすぎであったか。そして「片っ端から爪を折られて」とも言っていたのでやはり爪は無事ではなかったようだ。……好きなキャラの生爪が剥がされているかどうかに異様にこだわる様相を呈してしまっている。
 覚えていないとうそぶいているが、たぶんだいたいのことはちゃんと覚えているんだろうな。
 サルアがとうとうと目的を述べるのを聞き、クオは笑みを浮かべる。とはいえ原作のようにサルアが意気を縮小させてしまうほど「異様にひきつった笑み」ではない。原作の描写をそのまま起こさず、ニュアンスだけを残した一例。

 

 サルアにとって、「チャイルドマンとクオがどう戦ったか、オレイルに聞かされて知っている」というのはクオの動揺を引き出すカードだったのだろう。
 オレイルは、負った傷よりもおそらくは「見た」ことでそれ以上戦えなくなり、聖都から追放された。オレイルがそのことを不本意に感じているらしいのはうかがえるものの、なぜサルアに自分の見たものを一部分だけ話し、そしてもう一つは聞かせなかったのか(つけくわえると、メッチェンには話さなかったのだ)は詳しく語られていない。
 サルアはオレイルのことを保護者と言ったり、オレイルもサルアにとって自分に教えを受けたのは貧乏くじだったと言うなど、両者の間には師弟としての繋がりが見て取れる。オレイルがふとした瞬間に自分の見たものをサルアに漏らしたのではとわたしには想像される。
 ともあれ、この台詞はカットされ、代わりにクオがオーフェンはチャイルドマンの生徒だと知っており、「だからここに来た」というものに変更された。クオのチャイルドマンに対する恐怖心の伏線となる描写だ。

 イフリートの攻撃を身を投げ出して避けるところ、まさか2期でもサルアのアクションシーンが見られるとは思わなかった。ありがたや。
 そんなに飛んだり跳ねたりされると好きになっちゃうんですが……。困ったなあ。

「奴は俺がやる! 神官兵をたたけ!」

 サルア君、状況がズタボロでも諦めないしその中での最善と思われる手を打ちつづけるし判断も早いよね。……だからああいうことになるわけでな(白目)。

 

 サルアを引きずるのにクオが髪の毛を掴んでいるのは、「あ、ああ~~~! 正解! 正解です!!」ってなったのでわたしの負け。正解ってなに? なんかクイズでも出てた?
 にしても、二日間拷問されたあとに壁に叩きつけられる、刃物で落書きしたみたいに満身創痍になる、とあらためて見ると気の毒だ。

「違う。退屈していただけだ」

 そうやね……君はこういう状況で笑いながらウインクしてそういうこと言う男やね……。
 踏まれるところをキャプチャしているときは「わたしは……いったいなにを……?」と先週に引き続き思った。クオもクオでどうして2回も踏むのか。切るとか蹴るとか変化をつけるべきではないのか。腰にぶら下げているその剣はいったいなんのためにあるというのだ。


 ムールドアウルを振るうクオは、迫力や緊張感というものをことごとく描写できていない本作にしてはかなり上出来。しかし本作の場合、そういう場面があってもこれまでの積み重ねから「おっ、ええやん」ではなく「さよか」にしかならないのが悲しいところである。
 にしても、せっかくこういうことができるのなら、二十四人(秋田バースでよく用いられる「3」の倍数だ)の神官兵がずらりと並ぶところはもっと危機感のある場面として描写してほしかった。


 ラモニロックがアナスタシアを殺す場面は、最初は白魔術を使わせるべきではと思った。しかし原作を読み返すと、ラモニロックがアナスタシアの首に手をかける描写がちゃんとあった。失敬失敬。そもそも白魔術は物理現象は不得手なのであり、ラモニロックのそれもどうも稚拙だという。素手で首を絞めるほうが筋が通っている。
 そういえば、ラモニロックが白魔術(音声魔術)を使える理屈はどういうものなんだろうか。天人種族の人形たちが用いるのは、自身の身体に刻まれた魔術文字による沈黙魔術だ。
 ドラゴン種族は常世界法則を解析し、それがいかなるものか認識する(不完全な理解にとどまった)ことで神々からもまた認識された。それにより、かれらは魔術を行使できるようになった。
 神人種族とは表裏一体の関係にあり、肉体をもって現出した常世界法則である巨人種族の場合は、認識されるまでもない。とはいえかれらが魔術を行使できるようになったのは、天人種族との交配により一部が魔術の素養を獲得してからのことである。
 魔術に関するドラゴン種族と巨人種族の違いはもうひとつ。ドラゴン種族は各々の代表者である賢者会議の面々がアイルマンカーとなり、それが種族全体に波及した。個人が他者と紐づけられ、自と他が癒着する使い魔と似たものと見える。一方巨人種族はというと、魔術の素養は天人との間に生まれた者の子孫のみに限られ、種族全体に及んでいない。魔術士と非魔術士の対立の先鋭化を背景とした第四部を、レイシズムの観点から読み解くという誘惑に駆られる。
 さて改造される前のラモニロックは開拓公社の先遣隊として働いており、魔術の素養は持たないように見受けられる。そんな彼が行使するのは音声魔術であるのか、それとも沈黙魔術で疑似的に音声魔術を再現しているのだろうか?
 もし前者であるとするなら、人間種族が魔術を用いるのには天人から魔術の素養を受け継いでいなくてもいい、つまり先天的な要因が不必要ということになる。
 似た例である偽キリランシェロを考えてみよう。仮に元のキリングドールの素体となった人間に魔術の素養がなかったとしても、バルトアンデルスの剣でキリランシェロに変化させた、とみなすことができる。
 天人種族の有するバイオテクノロジーと沈黙魔術ゆえのことにせよ、巨人種族の肉体さえあれば後天的にでも魔術を行使できるようになる、「困難であっても、実現の可能性がある」のだ。(ステフに見るように、瀕死の重傷ないしは大幅な肉体改造といった身体に加えられた「変化」は魔術の行使に影響する可能性が高い。)
 これは魔術を生物学的特徴から、「技能」と呼びかえうるのではないか。全知全能からひとつ小さく、零知零能からひとつ大きくなるというのに通じる話だ。
 だからといって魔術士と非魔術士の対立や魔術士社会の排他性などといった、作中社会に山積した問題は解決に導かれはするまい。単に「魔術士とは生物学的特徴だ」という話に欠けが生じるだけのことである。


 余談。バルトアンデルスの剣でオーフェンがいつもの格好になる際のキラキラエフェクトは、往時いくつか見た同人誌を思い出させる(サービス満点な衣装になったりとかいろいろあった)。
 にしても、本作については各種エフェクトを入れてしまわずにはおれない、作り手のいわば「恐怖心」を感じ取ってしまうアニメである。

 

(初出・2021年3月28日。加筆修正のうえ投稿)